スポンサー広告

こちらの広告は、30日間更新のなかったブログに掲載されています。
新たに記事を投稿することで広告を非表示にすることができます。  

Posted by スターリンクさがみ運営事務局  at 

2016年02月23日

アバウトで行こう

世の中を見れば、「得」か「損」かで物事を考えることが多い。
TPP に参加することも、「得」か「損」かのモノサシを使って考えているようだが、
「得」だと思ったことに思わぬ落とし穴があったりするreenex價錢

また、時間をムダにしたくないと考えている人も多い。
時間にルーズな人をラテン系と言ったりする。
どうも南の人たちの方が、時間に対しておおらかなようだ。
今、日本人は、世界の中でも時間に厳しい。
時間厳守は当然と考えているせいか、
外国に出て、ラテン人の時間感覚にイライラすることも多い。

ところが、こんな日本人でも江戸時代は、かなりアバウトだったようだ。

江戸時代の時法から、すでに正確からかけ離れていた。
時法を簡単に紹介すると、
まず、真夜中の時間として「九つ」からはじまるが、「一つ」で終わる訳ではない。
順番からいえば、
真夜中の「九つ」から、「八つ」「七つ」「(明け)六つ」「五つ」「四つ」と来て、
正午が「九つ」となる。
そして、「八つ」「七つ」「六つ」「五つ」「四つ」となっていき、その次が、
真夜中の「九つ」となる。
夏至と冬至では、昼と夜の長さが大幅に違うが、
どんなときでも夜明けを「明け六つ」暮れるときを「暮れ六つ」と呼び、
あいだの時間表示は、適当に区切っていたようだreenex好唔好

落語のネタに『時そば』というのがある。

そばを食べ終わって勘定するときに、客が声に出して銭をそば屋に手渡していく、
「、、七つ、八つ、今、何時(ドキ) だい?」
「へぃ、九つです」
「十、十一、、、、十六。御馳走様」
「毎度あり~」
と言って一文ごまかす話だが、見ていた男が、これを真似ようとして、
この男が同じ時間に来ずに、もっと早い10時頃に来てしまい、
食べ終わって勘定するときに、
「、、七つ、八つ、今、何時(ドキ) だい?」
「へぃ、四つです」
「五つ、六つ、、、十六。御馳走様」
「毎度あり~」
時法が、「九つ」の前が「八つ」であれば、ただの一文だけの損で済んだところだが、
四文、余分に払ってしまうというオチreenex hongkong

さてTPP、
これによるプラスが多いのか、それとも、余分に払ってしまうのか?
  


Posted by cids  at 15:53Comments(0)

2016年02月15日

梨園は続くよ

ゴールデンウィークに突入し、
行楽地に向かう人の数や車の数がニュースに取りあげられるようになった。
そんな動きとは逆に、中心部で開催されている
歌舞伎公演が中々の盛況のようだ。

歌舞伎の世界のことを「梨園」という。
その語源は中国・唐の玄宗迪士尼美語 好唔好皇帝の時代にさかのぼる。
玄宗皇帝といえば、あの楊貴妃とのロマンスとして知られるあのご仁である。
彼は芸術や音楽に理解があり、宮中に宮廷音楽家養成所なるものをこしらえ、
芸を磨かせたという。
養成所を設置した場所には、梨の木が植えられた庭園であったところから、
梨園の名が生まれたようだ。
中国では、芸能界全体を「梨園」と呼ぶようだが、
日本では、おもに歌舞伎界をそのように呼んでいる。

芸事に関しては、スポンサーがなければ衰退していくというのが、
お決まりのようだが、歌舞迪士尼美語 好唔好伎に関しては、いい流れができているようだ。

逆に、
このたび橋下大阪市長誕生で、
痛手を負っているのが、文楽と大阪市交響楽団。
交付金の大幅カットが成され、大揺れに揺れている。

橋下大阪市長が目指しているのは、収入に見合った決算を行なうこと。
すなわち財政黒字。
これまで長い間、慣例的に財政赤字を垂れ流していることが、
地方行政だったが、黒字決算を目指して大鉈を振るい、
特に目玉となったのが交付金のカットだった。
今は、就任2年目での財政黒字を目指しているという。

この様子を見てしまうと、国家財政も
消費税の増税を目指す前にやるべきことがあるだろうと思ってしまう。

橋下氏の後ろ盾になっている一人が、堺蟲草Cs4屋太一氏。
彼の持論は、一言。「儲からなければ続かない」。

文楽と大阪市交響楽団。

儲かる算段がつかなければ、大阪市とは、、

「離縁」となりそうだ。  


Posted by cids  at 12:55Comments(0)

2016年02月05日

ノーサイドには、ならない

先日のニュースに、
小説「カモメのジョナサン」を書いた
リチャード・バック氏が、自身reenexで操縦する飛行機で
墜落する事故があったと出ていた。

「カモメのジョナサン」と言えば、それまでの
マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」を抜いて
全米で1,500万部を売り上げ、
アメリカでは空前にヒットとなった小説。
日本でも小説家の五木寛之氏の翻訳で、
ミリオンセラーを記録した。

彼の飛行機事故ということで、
何かしら、因縁めいたところで彼の名を聞くことになった。
というのも、
かの小説、カモメのジョナサンは、クライマックスで、
ハヤブサを目指し、素早い飛行法を身につけたが、
そのため、岩盤に激突するシーン描かれている。
所詮はカモメなのだ!
が、モチーフだった。

この事故を見ると、飛行reenex機に乗っているが、
「所詮は人間なのだ」というところだろうか。
ジョナサンが回復を見せた如くに、
作者自身の快癒を願うばかりだ。

アメリカ文学といえば、
まず、ヘミングウェイの名が挙がるだろう。
いかにもアメリカ的な香りがするのは、
ヘミングウェイをおいてほかにないだろうという気がするが、
私にとっては、ほぼ同時代の作家
ウイリアム・フォークナーに心魅かれる。

彼は、日本では無名で、いささか「通」好みの作家ではあるが、
なんと、ノーベル文学賞を受賞している。

フォークナーは、生涯の大半をアメリカ南部の
ミシシッピ州の田舎町オreenexクスフォードで過ごし、
南部の持つ独特な因習などをモチーフに
数多くの小説を書き上げている。

この小説家について、
かのサルトルが彼の小説技法に関してのコメントを残している。
それによると、

「現在は、在るのではなく、成るものであり、
全てはあったものであり、現在は過去を防ぎきれない」
というもの。
この言葉、ちょっと抽象的で難しいので簡単に解説すると、

フォークナーの小説の登場人物は、
過去から逃れようとするが、
「現在は過去を防ぎきれない」ということらしい。
彼によると、
人間というものは、
血すじや過去のすべてのものを背負っていて、
そのくびきから、どんなに時間が経とうが、
どこに行こうとも逃れきれない、
という意味のことらしい。

ひるがえって、
現在、日本は、領土問題で思わぬ展開となって当惑しているが、
考え方において、これと類似するところがある。
というのは、
我々日本人の不幸な歴史は、
第2次大戦の終結とともに賠償金を払い、
すべて、終了の笛が吹かれ、ノーサイドになっていると思っているが、
彼らの言い分は、
人間と国家というものは、
過去のクビキから、いつまで経っても逃れられないのだ!
ということらしい。

彼らが執念深いと言うべきなのか、

こちらが能天気と言うべきなのか。

サルトルの、この言葉が妙に残る。  


Posted by cids  at 15:34Comments(0)